尊徳座像(報徳博物館蔵) 幸田露伴 「二宮尊徳翁」口絵(報徳博物館蔵)

報徳とは

(大日本報徳社 パンフレットより)   

*報徳とは

  1. ①報徳の教えの根本は
    「報徳」とは勤倹貯蓄と無利息金融を柱とする方法をもって、ゆたかな村づくりを進めようとする思想である。
  2. 報徳の教えの背景には氏神をたっとび、親に孝行を尽し、主従の礼をまもり、家族全員が一生懸命働くことによって円満な家庭をつくることにあった。遠州報徳の夜明け (神谷昌志著)
     

  3. ② 二宮尊徳の教説。至誠、分度、推譲、勤労によって道徳と経済を一致させ、
     富国安民をはかろうとする教え、考え方。
     
  4. ③ 二宮尊徳の「報徳訓」において
  • 〇 今、自分が存在するのは、祖父母が在ったからである。
  • 〇 今、自分が富んで貴くおられるのは、祖父母が善行をつみかさねてくださったお陰である。
  • 〇 今あるいのちは、衣食住が満ち足りているからであり、それは田畑山林の恵みと、我ら人民の勤労のお陰である。
  • 〇 今得ている衣食は昨年の勤労によって得られたものであり、来年得られるものは今年の勤労によって得られるのである。
      来る年も来る年も、報徳を忘れてはならない。

*徳とは

  1. ① 道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性。
  2. ② 人を感化する人格のちから。めぐみ。神仏の加護。(広辞苑)
1、尊徳の報徳の始まり

天保二年(1831)藩主忠真は金次郎や村の代表を結城(現在の茨城県結城市)招いてねぎらい、金次郎に、「そなたの方法は、論語にある『以徳報徳』である。徳という、人の真心をもって、それを実らせたのだ。」と褒めました。その後、“報徳”という言葉は、金次郎の考え方や行いを表すものとなり、「報徳社」や「報徳学園」もその精神を受け継いでいるのです。

 

2、報徳仕法の内容について
1) 報徳は至誠・勤労・分度・推譲を実践し道徳と経済が調和する道

主として社会救済の念を起こし、修身・斉家・治国・安民の根本の意義を考え、上は政治の方法の得失をより下は個人の修養に至るまで、空理空論を排除し、実理実行、専ら「徳をもって徳に報いる」道を起こしました。至誠・勤労・分度・推譲の四つを説いて、道徳と経済が調和し、並び行われるように図り、人を導き世を益そうとしたものです。尊徳は神道・儒道・仏道の三道を咀嚼してこれを実地に活用するために、報徳の教えを唱えたのです。

2) 報徳の方法には興国安民法(行政式)と報徳結社法(民間式)がある
(1) 興国安民の方法とは、

幕府及び諸侯のため心をくだいて非常な苦労を重ねて経営した国を治める要道であり、上より下に及ぼすものです。当時は報徳役所というものを設け、報徳の事業を施したところが少なくありません。この方法は命令的に行うものですから、効果を見ることは迅速です。
この方法は善い方法ですが、治者に人物を得ない時はたちまち廃絶して永続できません。それだけでなく時勢の変遷によって現在では行うことが難しくなっています。これがこの方法が現在廃絶した理由です。

(2) 報徳結社の方法とは、

身を修め家庭を整える方法を説き、専ら個人を指導し、報徳社の団結の力によって相互の福利社会の利益を増進する方法です。下館藩士のため信友講を設け、また嘉永三年(1850)に相模国片岡村の同志が克譲社を創設したことがあり、これが報徳に講名及び社名を付した初めです。当時は講といい社といい、その名称を異にしていますが、要するに結社方法の初めであって、団結の力により報徳の教義を深く調べ、その本質を究明実践し、一身一家一村の福祉を増進しようとするものです。この方法は個人相互の結合により設立するもので、興国安民の方法に比べ遅々としていますが、廃絶のおそれが少なく、社会の進歩に伴い、ますます発展する傾向があります。現在各地に設立する報徳社団は皆この系統に属するもので、専ら個人の福利増進と社会の公益を図っています。

3) 勤労と推譲及び分度とは

勤労と推譲が人道の善、分度は自らの生計に限度を設け推譲するために定める
尊徳は勤労と推譲を人道における善とし、これを徳行の原則とします。尊徳はこの人道論を主張するために経済論をたくみに縦糸と横糸としたのです。その道徳と経済とを互いに関連させる方法は、すでに各人の勤労を道徳の原則とするために、この勤労で生産したもので生計を行い、その自己の生計には一定の限度を置いて、この限度以外のものを準備し、また生産の元資に供し、さらに他人に譲渡します。これを分度・推譲と名付けます。分度とは、自己の所得と自己の消費とに対して限度を加え、生産的でない費用を制限し生産的資本の充実をはかるために定めるものです。


 

3、遠江国報徳社の設立
嘉永元年(1841) 相模の人、安居院庄七という者が遠江に来て、始めて二宮尊徳の教えを説いて勤倹推譲の道を教えました。当時、民力は窮乏し、人情は浮薄に流れていたので、有志者がこれを憂え、いたるところで安居院を招いて結社し、この救済の道を講じました。
嘉永六年(1853)
文久三年(1863) 安居院庄七が亡くなり、報徳の講師がいないため、この招聘について、福住正兄に相談しました。福住正兄は小田原報徳社員福山滝助を推挙しました。滝助は専ら報徳結社を誘導したことからその数は大いに増加しました。これによって
明治八年(1875) 十一月十二日に、各社を統括する必要を生じて始めて遠江国報徳社を浜松町に設置しました。岡田佐平治がその社長で、伊藤七郎平、小野江善六、新村里三郎、名倉太郎馬、神谷喜源次等が幹事でした。
明治三二年(1893) 民法の施行に際して許可を得て法人としました。
毎月一回社員を集合し、報徳の道義を講義し、農工商業改良の方法を研究することを目的とし、本社を浜松町に置き、支社を置きます。これを町村社といいます。この目的を達するために土台金・善種金・加入金の制度を設けています。

土台金とは、社員入社の義務金及び町村社社員の随意寄付金等より成立し、町村社設立の基本金または勧業奨励等のために支出します。
善種金は、社員の義務金及び町村社社員の随意寄付金によって成立し、十円をもって一口とし、その証書を交付し、これを永安証券と称します。十円未満のものにはその額が十円に達するをもってこれを付与します。年五分の利息を付し、一口百円になれば善種応報金としてその半額を寄付者に下付し、以後百円に達するごとに善報金を授けます。
善報金は、この荒地の開墾、道路の改善、商業資本及び肥料買入等のために町村社の要求に応じて貸し付けるもので、その貸付方法は無利息五か年賦とし、六か年目に至り恩謝金として年賦一年分を納めさせます。これを元恕金と名付けます。
加入金は無利息または利付預かり金で、産業振興の資本または子孫の教育金等の名義で蓄積します。町村社においては天災地変に備え金銭・穀物の貯蓄を行う制度があります。本社には、社長一人・副社長一人・幹事二十名あって、おのおのその事務を処理します。
遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 編集者 地福進一 二宮尊徳の会   

 

4、(遠江)報徳社の事業内容
1) 無利息貸付
貧村及び社員の救済または殖産興業・水利土木の資金として町村社に対して無利息貸付を行った。

2) 風教
報徳社は主として質朴を尊ぶために、毎月の定会に出席する。祝儀や不幸の際には互いに倹約を尊び、相互に助けあいます。報徳社は勤倹推譲を旨とします。贅沢や怠惰の者及び不道徳の者もいったんこれに加盟する時は、次第にその行いを改めます。農業に努める精業善行者を賞与する規則を定め、本社で表彰式を行いました。

3) 殖産興業
①共益製茶販売組合、②掛川信用組合、③見付町報徳社連合信用組合、④浜松町報徳信用組合、⑤)掛川農学社

4) 教育
報徳社は直接に小中学学齢児童のため教育事業を実施した事はありません。